東金市の観光情報をすべてお届けします!! TEL 0475-50-1142

歴史

東金と西行

Googleマップで見る

その1

大河ドラマ「平清盛」にも登場する西行法師(佐藤義清・さとうのりきよ)。この西行が、東金に来たという話しがあります。
西行が東北の地に砂金勧請の旅の途中、赤人塚や小野小町伝説をたどって東金に寄りました。その折に、自分の生まれ故郷と同じ地名の市内山田地区に立ち寄り、墨染桜と貴船神社を残したと伝えられています。
西行は、山城国紀伊郡深草にあった墨染桜の枝を杖として旅していました。その杖をこの地(山田)にさして歌を詠み、その杖が今の墨染桜になったと言われています。

「深草の野辺の桜木心あらばまたこの里に墨染めに咲け」
深草にゆかりの桜よ、私の気持ちをくんでこの里でも喪に服してくれ

その2

西行が詠んだ「深草の…」という歌ですが、これには実は元歌があります。藤原基経(836~891)の友人であった上野岑雄(かむつけのみねお)が、基経の死を悼んで詠んだ歌がそれ。

「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」(古今集832)
深草の里にある貞観寺の桜よ、今年だけは彼の死を悼んで喪に服してくれないか

西行はなぜ、この歌の「本歌どり」を行ったのでしょう? 西行の出自と当時の政治的背景にその理由がありそうです。
西行は、東金生まれの平将門を討った藤原秀郷の末裔です。そして、上野岑雄が歌に詠んでその死を悼んだ藤原基経は、将門が京都にいた頃仕えていた藤原忠平の父親にあたります。
これがまず、ひとつの要素です。

その3

次に、政治的背景です。西行が上総を訪れたのは文治2年(1186)ですが、直前に鎌倉で源頼朝と面会しています。頼朝から房総の話をいろいろときかされて訪れる気になった、というのが東金市史の説明ですが…。
頼朝はこの3年前、かつて鎌倉幕府成立に尽力した上総の有力武将であった平広常を暗殺しています。実はこの広常は、将門の直系の子孫にあたります。ということは?
西行は、上総の国に跋扈する将門~広常の荒ぶる魂を鎮めるよう、頼朝に依頼されたのではないでしょうか。そして、将門の主人筋にあたる基経の死を悼む歌を本歌どりして、将門や広常の魂を鎮めるための歌を残したのです。
自分もまた、将門を討った血脈を持つ者として…。

東金市と小野小町

小町公園

googleマップで見る


千葉東金道路の東金ICから程近い工業団地・千葉東テクノグリーンパークの中に、「小町公園」があります。
ここには昔、平安六歌仙の一人で絶世の美女として有名な小野小町が機織りに使った道具を埋めた塚がありました。その名も「小町塚」。
現在は開削されてしまいましたが、公園の北端につくられた歌碑とモニュメントにその名残りがみられます。

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に

(長雨が降っていた間に桜の花の色が褪せたように、私の容色も物思いにふけっていたづらに時が過ぎゆくなかすっかり衰えてしまったことよ)

小町ガスホルダー

[singlepic id=45 w=320 h=240 float=left]
[/singlepic]

千葉東テクノグリーンパークのキャッチフレーズも「小町の里に広がる知的創造空間」といい、工業団地内の東金市営ガスホルダー(左写真)や案内板にも小町の絵姿が描かれています。

小町伝説からの派生

小野小町の伝説は全国各地にありますが、東金の小町伝説は、万葉歌人・山辺赤人と旅の歌人・西行とのセットで語り継がれています。
東金市発のアイドルユニット=YASSA Comachiのネーミングも、小町伝説にちなんだものです。

東金市と万葉歌人

山辺赤人(やまべのあかひと)

雄蛇ケ池に近い田んぼの真ん中に、万葉歌人として有名な山辺赤人の墓と伝えられる「赤人塚」があります。
藤原定家とともに「新古今和歌集」の編纂にあたった飛鳥井雅経を祖とする飛鳥井家の古文書『古今抄』に「赤人は上総国山辺郡の人なり」と書かれていることから、赤人がこの地の出身者であるとする説は昔から根強くあったようで、有名な「田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ…」という歌を、内房の勝山港(旧鋸南町)の田子の浦から見た富士を詠んだものとする研究者もいます。
市の指定文化財になっている赤人像は、桧の一木から彫ったもので、作者は不明ですが、文化年間(1804~1818)頃の作と推定されています(法光寺蔵・非公開)。

田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
(田子の浦を通って視界が開けたところまで出てみると、富士山の高い ところには真っ白い雪が積もっていた)

※新古今和歌集では「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」という風に違った形になっています。
この場合(田子の浦に出て見渡せば、真っ白な富士の峰に雪が降り続いている)という風な訳となり響きや意味も違ってきます。

防人の歌

「万葉集」は大伴家持が撰者といわれますが、家持が上総国の国守に任ぜられ、防人(さきもり)派遣に携わっていたそうです。その関係から、この地の出身者の「防人の歌」が二つ万葉集に収められています。 山辺郡の物部乎刀良(もののべのをとら)と武射郡の丈部山代(はせつかべのやましろ)の二人の歌で、防人として九州に赴くときに詠んだものと伝えられます。

―物部乎刀良―
我が母の袖もち撫でて我が故(から)に泣きし心を忘らえぬかも

(私の母が私の袖をなでて別れをおしんで泣いたあの時のことが忘れられない)

―丈部山代―
外にのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに

(名高い難波潟も、遠くから見るだけで九州に渡ってゆくのであろうか、大変遠い島ではないのに)

以上が東金と万葉歌人のお話でした。機会があれば是非、訪れていただけたらと思います。

東金の将門ゆかりの地

私たちの町、東金にもあの有名な平将門(~940)に由来する場所があります。
地名としては市の東端に「御門=みかど」や「宮=みや」「殿廻=とのまわり」があります。

東金に伝わる将門伝説

常陸の地方役人、平良将は妻である桔梗の前が身ごもった際に占い師から「反逆児が生まれる」と告げられた。
その言葉を受けた良将によって桔梗の前は舟に乗せられ、九十九里海岸へと流れ着く。
身を隠す場所を探し彷徨い歩いているうちに桔梗の前は産気づいてしまう。
付き添って来た者が近くにあった竹を十文字に組んで川に立て、白い布をかけた。
これでこした水を産湯に使った。
しかし、赤子を抱いて桔梗の前は途方に暮れてしまう。
その姿を哀れに思った土地の漁師、七郎兵衛が生まれたての赤子を着ていた袖なしに包み、母子を家に連れ帰り世話をした。
この赤子が、成長して将門となる。天慶二年(939)農兵を率いて関東を朝廷の支配から解放し「新皇」宣言した坂東武者である。
将門が産み落とされた川が「十文字川」または「布留川」と呼ばれるようになる。
また生まれた場所の近くにかかる橋を「産前橋」と呼ぶ。
七郎兵衛は後に将門から「布留川」という姓をもらった、というのが、御門の古刹・帝立山妙善寺に残る将門伝説。

将門に由来する史跡

※写真をクリックすると詳細がでます。Googleマップで見る

切られ与三郎をご存じですか

歌舞伎の演目の一つに『与話情浮名の横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)という名作があります。
物語の内容は、江戸で有名な長唄の師匠四代目芳村伊三郎をめぐる千葉・木更津でおきた実話をもとに書かれ、登場人物は「切られ与三郎」「お富さん」そして地元の親分「赤間源左衛門」が主な登場人物です。
赤間源左衛門の愛人であったお富を好きになった与三郎は、お富と二人で逃げ出します。怒った親分は子分たちに命じ与三郎を簀巻きにして木更津の海に投げ込み、お富は江戸に連れて行かれてしまいます。
その後、偶然江戸で再会した二人を描いた作品です。

最福寺には、主人公の与三郎のモデルとなった「中村大吉」のお墓があります。
東金と大網白里の境の清名幸谷で生まれた「大吉」は長唄を習い、その後、茂原生まれの「きち」という女性を好きになってしまいます。この「きち」は山本源太左衛門という親分さんの愛人でした。二人は木更津に逃げてしまうのです。
この話がもとに「与話情浮名横櫛」が書かれました。

では与三郎さんのゆかりの地をご案内します。

googleマップで見る

八鶴湖の周辺散策

桜で有名な八鶴湖ですが、周辺には散策できる所がたくさんあります。
ここでは1日のんびり過ごせる八鶴湖周辺散策コースをご紹介します。
写真をクリックしていただくと、写真を拡大して見れるほか、スポットについての簡単な説明がご覧いただけます。

Googleマップで見る

御成新道の紹介

御成街道とは別に御成新道と呼ばれた一直線の道があります。造成された時代は諸説あり不明です。市内田間地区より武射田地区を通り、山武市の小松地区に至る道です。現在は通称砂押県道と呼ばれています。この街道を整備する際、その付近にあった大きな松に昼は白旗を掲げ、夜は提灯をつるし目印として突貫工事で整備したそうです。そのゆかりの碑が建てられている所を紹介します。
写真をクリックしていただくと、写真を拡大して見れるほか、スポットについての簡単な説明がご覧いただけます。

※御狩橋 御成新道が十文字川と交差する所にかかる橋。赤塗りの橋と伝わる。家康専用の橋で平時は番人を置き、庶民は渡れなかった橋。

Googleマップで見る

御成街道の紹介

今から約400年前、徳川家康が東金に鷹狩りに来た際、今の船橋市から東金まで一直線の街道が整備されました。その街道を御成街道といいます。現在もその街道は生活道路として使用されていますが、市内にはその当時の面影を残す場所があります。その一部を紹介します。
写真をクリックしていただくと、写真を拡大して見れるほか、スポットについての簡単な説明がご覧いただけます。

Googleマップで見る

東金市観光協会
〒283-8511
千葉県東金市東岩崎1-1
TEL:0475(50)1142
FAX:0475(50)1293